末期の水のいわれと作法(1)

末期の水のいわれと作法(1)

「死水をとる」、「末期の水をとる」

ただならぬ雰囲気を感じる言葉ですが、これは臨終の直前、または亡くなってから、新しい筆や割り箸の先などに脱脂綿をくくりつけたものに水を含ませ、故人の唇を湿らす。という儀式です。
最近では、臨終の直前にすることはなく、ほとんどの場合、亡くなった後に行われているようです。
病院によっては、湯灌(故人の身体を洗い清めること)と一緒に行ってくれることもあるようです。

末期の水は、先ずは配偶者からはじめ、その後は血縁の濃い順で行うものとされます。配偶者→故人の子供→故人の両親→兄弟(姉妹)→故人の子供の配偶者→孫の順とするのが一般的です。
仏典「長阿含経」によりますと、

最期の時を悟ったお釈迦様が口の渇きを覚え、弟子の阿難に水をもってきてほしいと頼みましたが、弟子の阿難は、近くの川の水は濁っているので今は我慢してくださいと言いました。 お釈迦様はどうしても我慢できずこう言いました。
「拘孫河という川がさほど遠くないところにある、冷たくて清らかなその水を飲みたい」
すると雪山に住む鬼神が、拘孫河の水を汲んできてお釈迦様に差し出した・・・。

とあります。
これが現代の末期の水のいわれだとされています。