キリスト教の教え「お葬儀」

キリスト教の教え「お葬儀」

キリスト教の教えでは、人は死ぬと天地の創造主である神の直接のご支配に委ねられます。そのことから、この神を礼拝することで葬儀の全てが尽くされるとされています。

礼拝は、賛美歌、聖書朗読、祈り、説教などです。

* * 説教や挨拶などの言葉は、死者に呼びかけるとか、故人の霊を慰めるとか、冥福を祈るというようなことはしません。 ただ、主権者である神の尊厳と、残された者への慰めと祝福を語るのみなのです。

* 式後に、参列者が順番に前に出て、棺の遺体に花を添える場合があります。故人の遺体に最後の対面をするわけですが、 この場合もクリスチャンは遺体を拝むことはしません。故人を偲び、飾花してきれいにしてあげるだけなのです。 (教会によっては「献花」という言葉を使いません。)

* その後で、肉親や親族の方々にご挨拶し、心からの慰めの言葉をかけてあげることをします。

* 聖書の教えでは、人は天地創造の主である神によって造られた被造物と教えます。

* 人は本来、神に喜ばれる祝福された者でしたが、やがて人は罪を持つ者となり、生まれながらに持つ罪(原罪)のため、 神から見放された状態になっているというのが聖書的な人間観なのです。

* 人は悲惨な生活を送り、これらの罪のため、死に、死後も永遠の苦しみの状態に入れられる定めになっています。

* イエス・キリストは、人の罪を救うために、神から遣わされた、(神が、人としてこの世に来てくださった)、お方なのです。

* 聖書に書いてあるとおり、キリストの救いの業を信じ、キリストを自分の「主」として受入れることにより、 その人は罪を赦されて、本来の祝福された状態に戻ることが約束されています。

* 具体的に、教会で、キリストを信じて洗礼を受け、教会員となった者は、クリスチャンと呼ばれ、神の祝福の下に戻った者とみなされています。

* キリスト者は、死の時、その魂は完全に清められて直ちに神の元に帰り、しばしの間、安息の時を送ります。体はチリに戻りますが、なお終わりの日のために備えられています。

* 世界には終末があるというのが聖書の教えです。 その日には、死者は復活して、キリストよる最後の審判がなされます。 キリスト者はすべての罪を赦され、新しい体が与えられ、もはや悲しみも苦しみもない、神に祝福された新しい世界に永遠に生きるのです。

* 死者は、神や仏になるのではなく、礼拝の対象ではありません。 また、この世をさまよったりするものでもありませんから、死後の成仏や、冥福を祈るというようなことはしないのです。 ただ、主である神に一切を委ね、神にのみ礼拝を捧げればよいのです。

* しかし、残された遺族の悲しみは残ります。心からの慰めとともに、神の恵み深い約束の中に希望と励ましを見出すのです。